タシタル・アタ

タシタル・アタ―永遠に触れる場所

「救いの山」タシタル・アタは、ギザのピラミッド、インカのマチュ・ピチュと同様、時代が太古から現代へと移り変わってきても、その流れに流されることなく、しっかりとそびえたっている。古代の人々にとって神聖であった場所が、その祭儀的な意義を伴って現代という時代に蘇ってきた。太古からの伝説や言い伝えが何百年にもわたる歴史的な出来事の数々と合わさって、タシタル・アタに秘蹟としての神々しさを今に伝えている。

 

 アレクサンダー大王の遠征、ティムール軍勢の戦闘、など、時代から時代へ、時はうつり変わり、シャーマンたちが異教の祈りをささげる旋律がイスラム教徒のコーランを唱える響きにとって代わったが、タシタル・アタは変わらず信仰の対象として希望、史跡、謎を秘めた昔の暮らしの源となった。

 

現代まで残っている言い伝えの一つによると、人々の庇護者であった偉大なる勇者タシタル・アタが40日間、昼も夜も、悪の軍勢を相手に自由とこの山のふもとの河岸に広がる沃土を開くため、闘い続けたという。勝利を手にしたタシタル・アタは戦いに疲れた体を横たえた。そしてそのまま永遠の眠りについた。
 
 
それ以来、次のようなことが人々の口に上るようになった。かつて苦境にあった時のもの言わぬ証である自分の石をこの地に運んできて、それを幸いと恵みへの祈りをささげながら、タシタル・アタの化石となった心臓のもとに置き敷けば、だれでも生きることが調和と安寧に満たされるのを感じる、というものだ。そうして、壮大なタシタル・アタの丘が人々によってつくられた。今でも、現代に生きる我々に過ぎ去った昔を思い出させてくれる。
 
 

タシタル・アタのそばの大きな焚火あとは古代シャーマンが祖先と交霊の儀式をした場所だ。祖先の霊に、異族から守ってくださいとか、あるいは、日照りのないようにとか家畜を疫病からお守りくださいとか、祈ったのだろう。心の救済も祈ったことだろう。癒しの火がその光で祈り人の理性の清廉を守ってくれるように。

 
 

 石が敷かれた階段は、丘のふもとから頂まで365段あって、魂を清める象徴である。人は、自分の石を一段上に持ち上げるたびに、一歩ずつ神のところに、そして背負い込んだ重荷に打ち勝つ道に近づくのだ。

 
 

 その経験と郷土の歴史に対する愛情から、麻薬治療学教授であり社会活動家であるジャニシュベック・ナザラリエフ博士は、現代人にとってほとんど打ち棄てられた存在だったタシタル・アタの史跡を再建した。古からの何千の巡礼者によってつくりあげられた丘、信仰の焚火跡、頂へ続くほとんど朽ち果てた石段、それら全ては伝説や建築についての古書や古老の記憶に基づいて慎重に再建された。

 
 

 今日のタシタル・アタは他に類を見ない精神的歴史文化の複合体であり、2005年に公的な指定を受けた。今に至るまでここには、石の上に頭を垂れ、その石とともに心の重荷を下ろしていく人々の姿がある。古からの人々の記憶は消し去ることはできない。それは、我々とともに永遠に残るのだ。