気持ちの整理
「こわれた電話」というゲームは、デマや根も葉もないうわさを生んでいるネットでの放送について、はたして正確に情報が伝えられているのかを明らかにするようなものではない。ドクター・ライフの出演者たちにはまだ禅の境地に達するのは難しく、世界がある状態から別の状態への移り変わりを見据えられない。つまり、みな自分の麻薬に染まった人生にどのような幸せな岐路を見出すか、心の準備ができていないのだ。
心理療法士が、参加者に簡単なゲームをしようと提案する。過去にまつわる話をきいてから、それを覚えた通り、理解したままに、次々と話すという物語リレーだ。話して聞かせる話は悲劇的な終わり方だ。しかし、その物語からは、お金では愛情は買えないこと、金の力がすべてだと思うものには破滅が待っていることが十分理解できるはずだ。

ある王が娘をさらって妻にしようとしたが、牛飼いの若者を思慕していた娘は、さらわれたことを悲しんで王の宮殿の塔から身を投げた、という話が土台だ。この話は、悲惨な人生の顛末についてというより、真のオアシス、高地に位置するイシククリ湖の話だと言ってよい。イシククリ湖が誕生したのは、専横と嫁さらいの罪を犯した王が神々の怒りを買い、王宮もろとも水深く沈められてしまったからこそだ、と言えるのだ。
伝説を自分なりに書き換えた物語リレーがカーチャから始まった。カーチャはこの過去の物語を「守るべきもの」として聞いた。アレックスは物語を次のように解釈した。王は嫁さらいをし、花嫁が恋した若者を殺してしまった。そのため王は神々に断崖に追いつめられ朦朧とした意識のまま身を投げた、というものだ。そこにどうしてイシククリ湖が関係するのか?みんなでイシククリ湖へ出かける話がまたもや出た。それぞれ、独自の世界観、個人的なことばが伝説の曲がりくねった骨組にまきつけられた。参加者は過去の物語をそっくりそのまま話したのではない。ユーモア、当惑、疑念、誇張など、しかるべき付け足しがあった。

心理的にリラックスした後、出演者たちは呼吸法を3種類おそわった。深く呼吸すること、早く呼吸すること、そして浅い呼吸法だ。参加者たちは床に横たわり、グレープに言わせれば「ハスの葉っぱのポーズ」をとりながら、指揮をするように両手をふり、体中が膨れ上がってぞくぞくしてきた。それからインストラクターが、まるで「入」のスイッチを探るように眉間に指を押し当てると、参加者たちは体が浮きあがるような感じを味わった。実際、飛翔するような気分になると、例えばヴィクトルの場合は、いくらか軽い肉体的な不快感を伴った。肝臓に感じる痛み、肺臓が縮むような感じ、全体とした委縮感が一度に感じられた。

心理療法士のエリミーラ・サティベコワとの話は、ゲーム「こわれた電話」の続きになった。参加者は自分からナザラリエフ博士のカウンセリングについて印象を何度も口にした。大きな違いが二つあることが分かった。博士の前で身動きできない参加者を見ているのと、彼らの考えに耳を傾けることだ。しかし、15分間の話し合いの中の肝心な部分はしっかり残ったのだ。全員が博士からエネルギーを補給してもらい生きることの意義について思いを致すことができた。
理性的に物事を理解できるようになったからなのだが、アンドレイは心落ち着かない。「いくらヤクに使ったか。もうあんな大金、絶対にできやしない」とアンドレイはみんなに金のことを悔やんでまわる。まったくのごろつき、盗人、ペテン師、ろくでなしだったドクター・ライフの参加者たちは、今や、前向きに生きて、法を遵守するきちんとした市民に生まれ変わらなければならない。ドイツに住むものにとっては絶対でも、ロシアから参加した者にとっては最後の審判とは思えないこともある。それは、人間の問題と言うより、野性的な資本主義の残響なのだ。

木にかこまれた広っぱで担当医との話し合ったのち、リハビリの第一段階終了が告げられた。参加者は診療所を出て、イシククリ湖、心療トレーニングで誕生の物語をそれぞれがさまざまに色づけしたあのイシククリの湖畔を目指すことになった。参加者は、ユルタの村「アク・テンギル(明るい天空)」に温かく迎えられた。アナトーリーが「まだ何かメニューがあるのか」と聞いた。インストラクターの答えは「もうない」だった。もし、ドクター・ライフの出演者がさらに何か薬を飲まされるとしたら、それはプラセーボだろう。しかし、どうやらすでに、みんな舌の下に薬を放り込んでいるようだ。ただし、中味も形もない錠剤を。健康になることこそスタートだと思っているのを証明するかのように。



















